リレー日誌

バドミントン、日常生活、趣味、話題は何でも!
いろんな想いをのせて、バトンを回しましょう。



030_川口 実也
Writing...

029_高山 義将
更新がとても遅くなってしまい申し訳ありません。秋から『主将』をさせてもらっています3年の高山でございます。栄光ゼミナール月島校でチーフ補佐の役職も任されています。
バイトが忙しく練習にこれない日も少なくなかった状態で先代から引き継ぎを受けたため、『主将のいない部活』が見事に完成してしまいました。入部した当初阿久津先輩から言われ続けた『バイトヤメロ。』を無視した事が少しだけ悔やまれます。バイト先でもある程度の地位にたってしまい、どうにもバイトと部活も宙ぶらりんな状況で日々を過ごしています。
バトミントンから離れてみると気づくもので、毎日部活してるときは実は部活が辛くて嫌だと感じていたのに、練習ができないと練習したくてたまらなくなります。最近欲求不満です。特に関東リーグを本部で観戦してる時など自分のふがいなさを痛感します。レギュラーとの力の差も日に日に開いていくばかりです。全部自分が悪いんですが。
部活の活動資金を得るためにバイトをしていたはずなのに、そのバイトで部活に出られない。なんて、大学生あるあるですよね無駄の極みです。
前置きばかり長くなってしまい、私の部活に対する思いなど実は一ミリも書かれてないんじゃないかと思ったので最後になりましたが一言だけ言おうかと思います。
この時期になってほんとに遅いわけですが、ようやく主将としての自覚?が芽生えてきました。実力では、他の部員に及ばないところも多いですが、一癖も二癖もある部員がたくさんいるこの部活を引っ張っていけたらな良いな。と感じています。練習にも可能な限り参加できるよう務めていきます。
『なんだよ。口だけじゃんか』って、全くもってその通りすぎてなにも言い返せないのですが、現状これ以上の誠意は示せそうにないので、今後その意志をみせていこうと思います。
こんな主将ですが、これからもよろしくお願いします。

それでは次回のリレー日誌走者ですが、ここで一度千葉大学OBのみっちーさんこと、川口実也さんにバトンを託したいと思います。三浦くんからバトンを受け取ってから長らくバトンをキープし続けて大変申し訳ありませんでした。みっちーさんよろしくお願いします。


2015/5/6

028_三浦 豪典
えー吉田からバトンを受け取った三浦豪典です。現在理学部地球科学科の2年で す。

自己紹介
青森県出身です(津軽弁は話せませんが)。趣味は寝ること、夜更 かしして夜に入っているアニメを見ることです。バドミントンは小学校の頃から 始めました。高校受験で失敗したため、そのときは国立大に進学しようと思い一 度やめてしまったのですが、無事千葉大に進学できたのでまた再開しました。 私はもうバドミントンを始めて10年位になります。それなのにあまり強くないと いう感じていま非常に悩んでいます。とは言ってもその理由(非常にしょうもな い理由なのでちょっと言うのが億劫ですが)は自分でも分かっているのですがこ れが中々直らないんですね。小学校の頃は練習が嫌になることもあり、練習を勝 手に休むこともありました。今でもその癖が直らないのか練習を適当な理由をつ けて休むこともたまに(ここ強調)あります(ここだけの話ですよ)。また、それだ けでなく練習に対する意識も高いとは言えない状況です。そのような状態で上達 できるわけがありませんし実際その通りです。
今まで私の人生には後悔することばかりありました。それも部活に勉強などあら ゆるところにです。何度も後悔してはまたその繰り返し、私はそんな自分自身が とても嫌で大嫌いです。ダメだったのは〜だからと、適当な理由をつけ自分の行 動を正当化してしまうばかりです。誰かもっと後悔しなような生き方を教えてく ださい。....という冗談は置いといて、今後は少しでもこんな自分を変えていけ るよう頑張りたいと思います。大学生は4年間あります。でも4年間というのはあ っという間で、ぼうっとしていたらすぐに過ぎ去っていくものです。今後は頑張 りたいと思います。これを見た皆さんも俺見たくならないよう気をつけてくださ い。
以上で私からは終わりとさせて頂きます。かなり自分勝手なことを述べてしまい ました。申し訳ありませんでした。

なんと次は時期主将じゃね?と噂されている(私は言ってませんよ)同じ2年の高 山にバトンを渡そうと思います。彼ならきっと面白いことを話してもらえるので 期待してお待ちください。
でわっ!!



2014/6/16

027_吉田 佑
こんにちは。 まず、リレー日誌の更新が大変遅れたことをお詫び申し上げます。申し訳ありません。

改めまして龍野さんからこっそりバトンをもらいました。工学部メディカルシス テム工学科二年(年を越してしまったために二年になりましたが龍野さんと同学 年です)の吉田佑です。

簡単に自己紹介をさせていただきます。
出身は千葉県千葉市。2月11日生まれのみずがめ座。趣味はエレクトーン。 バドミントンを始めたのは中学一年の時で、千葉市立越智中学校バド部、市原中 央高校バド部を経て、千葉大バド部の一員となりました。
それでは僕も「けがの予防」をテーマに、若輩者ではありますが書かせていただ きたいと思います。

まず、このテーマについて書くことにしたきっかけを説明させてください。僕は 昨年の12月の練習中、飛びつき後の着地に失敗し左ひざの前十字靭帯を断裂し ました。けがをして約1か月後に手術をして、現在は術後4か月ほどになります。 完全復帰までだいたい8か月を要するらしいので未だ参加できる練習は少なく、 もっと羽を打ちたいなーと思いつつ悶々としながらリハビリに励み、復帰したと き少しでも前より強くなっていられるようにすることをモチベーションとして日 々を過ごしています。

そんな僕がけがを通して知ったのは「けがというのは起こるべくして起こる」の だということです。
けがをした直後は、災難な出来事だったと思っていました。不運な事故だったの だと。しかし、リハビリを開始してすぐ自分の体幹の弱さやバランス感覚の悪さ に愕然としました。あまりの酷さに。また今まで知らなかった正しいからだの使 い方、特に正しい着地の仕方(足の着き方や着地時の膝の向きなど)を教わりま した。そうして気づいたり教わったりして初めて、今までどれだけ足りないもの だらけでバドミントンをしてきたかを思い知らされました。むしろ、これだけ欠 けている状態でやってきてなぜ今までけがをしなかったのかが不思議なくらいに。 僕のけがは不運ではなく、自己管理を怠った結果であったのだと今は思います。 けがは何かが欠けているために生じる「ツケ」です。
億劫だと思わずに、日々の体調管理、体形管理をしっかり行い、体の使い方に関 する正しい知識を持つことで未然に防ぐことができます。とても当たり前なこと ではありますが、身をもって実感し、とても大切なことだと思ったので書かせて いただきました。読んでくださった皆様にとって、少しでも参考としていただけ ればうれしいです。

長くなりましたが僕からは以上とさせていただきます。次は同じく2年の三浦く んにお願いしたいと思います。僕が長く止めてしまった分、すぐ書いてくれるよ うにせかしていきたいと思っているのでよろしく!

2014/5/5

026_龍野 尚子
阿久津先輩からバトンを頂きました、教育学部小学校体育科1年の龍野尚子です。簡単に自己紹介させて頂きます!
長野県にある上田高校出身です。
趣味は空をみること。特技は美味しそうにたくさん食べること。特徴は大学からバドミントンを始めたことです。始める以前はバスケットボールを8年間続けていました。
そんな私がリレー日誌に書かせていただこうと思ったのは素人からみたバドミントンの面白さです。なぜこれを書こうと思ったかと言うとせっかくまわしていただいたバトンなので自分しか書けないことを書きたいと考えて、他の方が幼い頃に感じて忘れてしまっているかもしれない感覚を言葉にできればと思い、書いていこうと思います。
一つ目はラリー制です!
この制度によって自分ががんばればどこまでも試合が続けることができるので面白いと思います。
二つ目はあんな狭いコートが広く感じることです。バスケットコート一面に対して四面つくることができるため始めたばかりのころは狭くなって楽になったと思っていました。(全く違いましたが)シャトルに合わせて素早く無駄のないステップで動けるかによって勝敗を左右するといっても過言ではないと思います。6.7m×6.1mの端から端まで使うと本当にコートが広く感じられ、いろいろなプレーが考えられるので面白いと思います。
以上二点が私がバトミントンを面白いと感じるところです!
大学で何か新しいことをしたいという気持ちからバドミントンを始めましたが、やってよかったと今は思います。初めてのスポーツをやることによっていろいろなことを学べました!わたしがバスケットをしていた時間は5000時間くらいで、それに対してバドミントンをしている時間は500時間以下です。そう思うと他の人に練習時間がとても劣っている分、自分で考えながら練習したいと思います。練習の量も大切ですが同じ練習をするにしても、それをどうやって利用できてどのようにすればうまくできるかを考えて練習することで効率的に吸収できると思うからです。それに千葉大学にはOB.OGさんも多くきてくださり、練習をみてくださいます。自分よりうまい人と打てる機会がふえ、また教えてもらえることも多く、本当に感謝するばかりです。自分のおかれた環境に感謝しながらバドミントンを続けていければいいなあと思っています。
わたしは無理そうなことであってもやればできる思っています。それよりもやろうという気持ちが大切だと思います。そう、何事も気持ちなのです。バドミントンも気持ちによって左右されやすいと思います。バドミントンをできる限り頑張りながら自分の夢も追いかけたいと思っています。
充実した大学生活にできるよう努力します!

2014/1/3

025_阿久津 徹
タイトル:つながり

こんにちは!

現在3年生の阿久津です。簡単に自己紹介させていただきます。
教育学部中学校理科に所属していて、2年生になってから先日の秋リーグまでの1年半ほど主将をやらせていただきました。リーグでの戦績については悔しい結果が続いています。。

まだまだ未熟ですがリレー日誌書かせていただきます。
今回書きたいのは「人と人のつながり」です。
僕は千葉大に入学して、バドミントン部に入部してたくさんの人とつながりが生まれました。OBOGのみなさん、先生、部員のみんな、練習に来てくれる 方々、、ほかにもたくさんのつながりが生まれました。そしてたくさんのことを教えてもらいました。練習のアドバイスはもちろん、将来についてのこと、世間話などなど、たくさんのことをお話しました。今の僕を支えている大きなものになっています。話すことで今まで自分に無かった考え方で考えたり、新たに物を見る視点ができたり、大きな財産になります。

主将を務めていた間、辛いこともたくさんありました。そのたびに周りの人に助けられていました。感謝してもしきれないぐらい助けてもらいました。本当にありがとうございますでいっぱいです。しかし、ふと考えてみるとぼくは周りの人に助けられてばかりで、恩返しができていないな、思います。誰に、どうやって返すのか 、今も模索中です。最近では部活をよくすることが恩返しなのではないか、と思っています。

少し話がそれましたが、僕が言いたいのは「人と人のつながり」が僕を作ってくれたということです。これから1,2年生にもどんどんつながりを作っていってほしいと思います。勿論僕もこれからもたくさんつながりを作っていきたいと思います。

そしてが次は1年生女子期待のホープのひとり、龍野さんにお願いしたいと思います!彼女は大学から始めましたが、練習への取り組み方や、考え方は自分の1年生の時とは比べ物になりません。よろしく!


2013/11/10

024_立松 幹浩
お〜、なんだかリレー日誌なのにリレーされていないので割り込み書きさせてもらいます。割り込まれた小久保さんすいません、自分勝手な先輩をお許しください。

知らない人も多数いるかもしれないのでまずは自己紹介します。大学は2005年度卒業し、大学院は2007年度修了した立松と申します。千葉大にちょくちょく顔を出している芳賀君と同じ代です。今は愛知で小学校・高校の非常勤講師をしながら、母校の高校生のコーチとしてバドミントンの指導に励んでいます。また、自分自身も現役プレーヤーとして常に一歩上をめざし教え子たちに負けないくらい練習しています。

今回は「練習」について今感じていることを書きたいと思います。


・プレーヤーとして感じていること

 大学生には信じられないかもしれませんがほぼ毎日何かしら練習はしています。きちんと2時間くらいパターン練習やノックなどをこなすときもあれば、時間がない時には夜ランニングだけをするときもあります。最近感じることは、常に練習サイクルを崩さないことが大切であるということです(毎日続けることが大切であるということ)。練習をがっちりやるときもあれば、怠けてやらないときもあるという人がいると思いますがこのやりかたはよくないと思っています。なぜかという私なりの理由は、運動は反復練習でできるようになるものであると考えるため、毎日5分でも続けなければ変化していけないという考えがあるからです。

 だから、大学生に提案があります。どんなことでもいいから毎日続けてみてください。例え回数が5回とか時間が5分であったりしても、毎日続ければ1年後には合計ですごい回数になったり、すごい時間費やしたことになると思うので。


  ・指導者として選手を見て感じること

 指導者としてまだまだ未熟者ですが選手に最近こんなことをよく発言しています。「より細かく見ること、感じることができ、それを意識して練習に取り組むことで変化できる。練習を大雑把にこなす人、これは絶対に今のレベルを引き上げることは不可能である。」と高校生によく言っています。なぜこの発言をするかというと、上手くなるこというのは意識の細分化だと思っています。細かい点を見てそれを改善したり、変化させていかなければ技術は向上していきません。レベルが上がれば上がるほどより細分化せざるえなくなるとも考えています。

 もう一つの提案として、練習をする際より細かく意識することを心がけてください。いろいろなレベルがあるのでどこまで細かくとは言えませんが自分が分解できる最小の視点までさげ、それを意識して練習することで技術の向上につながると思います。



以上長々と乱文を書いてきましたが少しでも今後の参考になれば幸いです。次のリレーを考えてみたのですが次は現役の大学生に今の心境を含めてかいてもらいたいなぁと考えているので誰かいませんか?われこそはという人にバトンをたくしたいと考えています。

2013/10/10

023_小久保 智子
Writing...

022_辻 禎郎
バトンを受け取ってからかなり溜めてしまいました。すみません・・・
平成19年卒の辻禎郎です。
禎郎と書いてよしろうって読みます。ノーヒントで読めた人は未だかつていません。

僕みたいなマイナーなOBにもう回ってきて100継は達成できるのかと若干心配してますが、とりあえず書きます。

今、仕事で静岡県の駿東郡というところに住んでます。田舎で特に娯楽もないので今でもバドミントンを続けています。幸い会社にもバドミントン部があって、弱小ですが、多少交通費とかの補助が出るので時々東京の試合に出たりもしてます。

試合会場でDATAさんによくお会いするのですが、DATAさんは今でも現役時代を彷彿させるプレースタイで、お見かけするとなんだか懐かしく感じたりしてます。


実家が千葉なので、大学を卒業してからも実家に帰省したときなど時々大学の練習に参加させてもらったりしてます。現役の学生さんの練習相手としては完全に不足していますし、ためになるようなアドバイスも特にできないのですが、快く練習に参加させてくれるのはとてもうれしく思っています。
現役の皆さんは強くなるために日々練習に励んでいると思いますが、気軽に練習に参加できるような雰囲気はなくさないでほしいなと個人的に思います。

今後も希に出没すると思いますがどうぞよろしくお願いします。

次は僕の一個下の後輩の小久保智子さんにお願いしました。実は高校の後輩でもあって、彼女の兄が僕と同級生だったりします。
ちなみに高校のときは二つ後輩でした・・・

それでは

辻禎郎

2012/9/17

021_柳瀬 俊介
はじめまして、平成18年度卒の柳瀬(ヤナセ)と申します。
同期の及川くんからバトンもらったんで、
学生時代を思い出しながら書こうと思います。

平成18年度卒と言われてもピンと来ない方が多いと思います。
有名どこで行くと、芳賀先輩と川之紙君(あれ、漢字あってたよね?)
の狭間の代で主将やってました。

今となっては信じられませんが、
私もバドミントンをやりたいがために千葉大を選んでます。
そして大学入って2〜3年は本当にバドミントン漬けの生活でした。
芳賀さんと麻雀やったり、芳賀さんと東日本の帰りにトランプやったり、
芳賀さんとjdgfjhs...
柳瀬の名前は記録にも記憶にも残ってませんが、
私の記憶の中には千葉大バドミントン部のことが
今でもいっぱい残ってます。

多くのOBOGさん、先輩・後輩、そしてお客さんと
どうやったら3部で勝てるか試行錯誤しながらの練習でした。
3部で負けまくり、不甲斐ない結果ばかりでしたが、
いい勉強になりました。

工学部だったので3年生後半→大学院生活ではほとんど
練習に参加出来なくなってしまいましたが、
(私の場合は学部に関係ない気もするけど)
なんだかんだでHPとかで部の様子は気にしてたんですよ笑
実は今は結婚して、4月からマレーシアに赴任してます。

こっちに来て4ヶ月目ですが、まだバドミントンはやれていません。
日本よりバドミントン人気は高いので、
何とか早い段階で練習できればいいなと思っています。

クアラルンプールに観光しにくるでも良し、
日本代表になってマレーシアOPに参加しにくるでもよし、
こちらに来ようと思ったら連絡下さい。
いろいろ案内します。

今までのようにOBOG会や千葉大OPに
気軽に参加出来なくなってしまいましたが、
皆さんのご活躍を陰ながら応援しております。

最後になりますが、このバトンはまたまた同期の辻くんに回そうと思います。
彼は単なる本格派サウスポーのイケメンじゃありません。
おもしろい話を期待してます。
それでは!

P.S.
Mr.Tsujiは誰も思いつかないようなオチのある話をいつもしてたような。


2012/7/22

020_及川 喬年
バトンありがとうございます。 平成18年度卒の及川と書いておよかわです。

天野の話を読んで、旅先でのバドミントンの話を思い出したのでそれについて書こうと思います。
私は転勤で福島、石川、神奈川を渡っていたのですが、行く先々でバドミントンをやっていたような気がします。それは知り合いの高校だったり、地域のサークルだったりと場所や参加者の年代は様々でした。
その中で感慨深かったのが、参加者と軽く挨拶を交わし、その人に出会って10分後にはもうタブルスを組み、勝てば喜び負ければ悔しがりと、名前すらほぼ知らない人と感情の共有ができたことです。
出身も所属も何もかも違い(何なら国籍も違う人も)、共通点と言えばバドミントンをやっていることくらいしかない人達ともすぐコミュニケーションをとれるというのはちょっといいなーと思いました。

ちなみに今年は卒業してから初めてOB会に参加するので、ぜひよろしくお願いします。

お次は我らがキャプテンで新婚さん、柳瀬の近況が知りたーい!

2012/7/4

019_天野 寿哉
こんにちは。自分の右腕であり頭脳でもあった河村からバトンをもらった、河村と同期の天野寿哉です。
自分は大学を卒業してから日本で就職せずに、ワーキングホリデーという制度を使って約3年間、ニュージーランド、オーストラリアの二つの国に滞在していました。ここでは、旅行をしながら仕事をしてお金を貯め、旅行をして・・・といった生活をして、そのあと、日本に帰国する前にヨーロッパを2カ月、アジアを2カ月旅行してきました。昔から、世界の風景を見てみたいなって思っていたのですが、今回、少しだけそれが実行できました。今、海外での写真をみると本当にあんなところにいたのかーって思うのと、現地で聞いていた音楽を聴くと涙が出てしまうくらい懐かしいです。 


この3年間は本当に自分の好きなように時間を使って過ごせました。大学出てすぐに就職しなくて海外でぷらぷらしていても大丈夫かなって心配していたのですが、色んな国で色んな人に会えて、世の中にはもっともっと自由に人生送っている人がたくさんいて、ああ、本当に色々な人生があるから、何も心配しなくていいのかなって思えました。オーストラリアを縦断しながら仕事を転々としている夫婦とか、ずっと車の中で生活しながら仕事している人とか、人生、本当に色んな選択肢があるんだなって感じました。

日本に帰ってきて思ったことは、日本は本当に便利で、なんでもある国だなあってことです。自分は千葉県の香取市という、割と(すごく?)田舎に住んでいるのですが、こんなところでもなんでも揃ってい過ぎる感覚になりました。コンビニに行けば日用品から雑誌からプリンまで・・・。こんなに便利な国は日本だけだと思いました。千葉のデパ地下とかに行った時なんかは、ここは天国だ・・って思いました。ちょっと歩いたら、ソゴウの中にはシャネルやプラダなどブランドなんてもあるし・・・。学生の時は、信じられない世界の近くにいたんだなって思いました。笑


自分がこういう、ワーキングホリデーという制度を使って海外に行ってみようかなと思えたのは、海外で一度生活をしてみたかったという憧れがあったのもあるんですが、部活を通して色々な人の話を聞けたことが一番大きかったんです。色々な人と話せて、人生色々な選択肢があるんだなーっていうことがわかったのと、色んな経験をしている人がかっこよく見えて、そういう人達の視点に少しでも近づけたらいいなーと思ったことがすごく影響しました。色々な人とこれからも話していきたいので、これからもよろしくお願いします。学生さんとも話せる機会を作れるように、今年就職を決めて早く生活の土台を作り、千葉大の練習に参加していけるように頑張ります。

次のバトンは、自分が学生の時の初めての試合にダブルスを組んでもらい、出身地は隣の市、今は若干境遇が似ている、とても優しくて後輩の面倒見のいい先輩、及川さんに渡したいと思います!よろしくお願いします!

2012/6/26

018_河村 賢
川之上さんからの紹介に「勝つことの難しさを知っている」とありますが、まずはコレに補足を。
私が大学生のみ参加の大会で初めて勝ったのは、3年生の12月、教育系大会でした(メンバーチェンジで川之上さんとのダブルス)。
この話しをすると周りから「勝てないのによくバドミントン続けられたね」と言われます。その度、他の人はそう感じるんだなぁと思います。個人的には、勝ち負け抜きでバドミントンが楽しいから続けただけでした。だから「勝つことの難しさを知っている」と言うより「バドミントンの楽しさを知っている」の方が正しいかもしれません。
ちなみに、大学初勝利のあと「勝つ楽しさ」を知ってからの数ヶ月が、大学時代で最も上達したような気がします。4年生の春季関東リーグで勝つまでになるんですが、それはまた別の機会に…。
さて私は今、千葉県の中学校で女子バドミントン部の顧問をしています。特に変わった練習やきつい練習はやらずに(←ウチの部員が見たら否定するかもしれませんが…)、「バドミントンが楽しい!」と思えるような練習を心がけています。すると不思議なことに、そこそこ上手くなるんですね。
それこそほぼ毎日一緒にいるので、私の思い入れも相当です。生徒が試合に勝てばすごく嬉しいし、負ければ泣きたくなるほど悔しい(注:まだ泣いたことはありませんよ)。とにかく選手だった頃とは違う経験を、たくさんさせてもらってます。
とりあえず、私の今の目標は「少しでも多くの人にバドミントンの楽しさを知ってもらうこと」、そして「自分の生徒の目標を達成させること」の二つです。私の思いは、もう生徒に託したつもりなので、あとは彼女たちを信じるだけです。みんな、頼んだ!

最後になりますが、今の私の生活があるのは、バドミントンを通じて知り合った皆さんのおかげだと思います。この場を借りてお礼申しあげます。
そろそろ女性や現役にバトンを回そうとは思うのですが、せっかく私の右腕…、じゃなくて私が右腕だった人が海外から帰って来たので、そこにバトンをつなぎます。私の代の主将、天野寿哉君、よろしくお願いします!

2012/5/22

017_川之上 泰則
芳賀さんからバトンを受け取りました平成16年入部の川之上です。大学を卒業して千葉にしばらく残りたかったのですが、若干思惑とは違い現在は石川県で教員をしながらバドを教えています。

 さて、せっかくの機会なので学生時代の思い出を一つ書きたいと思います。

 バトンを回していただいた芳賀さんとは1年生の6月ごろ、梅雨が去ったころからダブルスを組ませてもらうことになりました。その日から今もそうですが、芳賀さんのプレーに憧れ続けています。何度も真似をしましたし、AさんやNさんとの激闘をいつも後で見ていました。(嘘つきました。たまにです。)

 今でも目を閉じるときれいな軌跡を描くラウンドからのリバースカットを、本当に苦しそうに打つ姿が目に浮かびます。

 芳賀さんが卒業し、リーグが不安で仕方がなかった4月。自分にとっての転換期がありました。千葉大OPです。そこでは、大先輩と組ませていただき、試合が終わるたびに狭い部屋(1体トレーニング場)に連れていかれました。

スマッシュが遅い!サーブが下手!構えるのが遅い!

相手を凄いと思っている間は絶対勝てん!

最後の言葉が特に印象に残っています。核心を突かれたみたいで。

格上の人と試合をすると競っても最後には離されるんだろうな〜。と弱気になることがありますが、この大会以降、減ってきたように感じます。その後、芳賀さんと試合をするときも憧れとは別に「絶対負けん。」という気持ちを強く持ち試合をできるようになったような気がします。

何がその人を変えるかわかりませんが、何かのきっかけにぐ〜んと成長することは十分あります、現役生のみなさん、先輩やビジターの人と色んな話をしてもっともっと最大限の成長ができたらいいですね。

やっぱり頑張る以上勝ちたい。けど、勝つことって難しい。その難しさを誰よりも知っている(であろう)熱い男の河村くんにバトンを渡したいと思います。

まだまだ現役。みなさん、大会会場でお会いしましょう!

2012/4/29

016_芳賀 岳洋
中村さんからリレーを引き継いでからだいぶ間が空いてしまいました。すいません。知らない人も多いと思うので軽く自己紹介をさせていただくと、平成14年に法経学部経済学科に入学。先輩たちに連れていってもらった上への入替戦を含め、4〜5回入替戦を経験している崖っぷち世代の部長でした。そんな私が言えることはあまりありませんが、現役生に向けて、ぜひ試してみてほしいことを書いてみます。それは、体育館以外でも少しだけアンテナを立ててバドのことを考えてほしいということです。毎日のように部活があった中学・高校時代とは違い、大学は部活のない日が多いと思います。そして社会人になると練習時間はさらに激減します。そんな中、練習のない日をまったくのOFF状態にしてしまうと勘が鈍るというか、気持ちを上げていくのに時間がかかると自分は考えています。なので日常生活のなかでバドに活かせる何かを探してみてほしいなと思います。それはバドミントンのビデオや専門書を見るわけではなく、マンガやテレビ、他のスポーツから応用できることがないかを軽い気持ちで探してみるということです。実際、自分のプレーの多くはそんな部活外のことから(ときには麻雀からも?)ヒントを得ています。参考になる何かを見つけ『今度の練習で試してみよう』と考えているだけでも、気持ちの準備運動は出来ているのでスムーズに練習に入れるのではないでしょうか。ぜひ試してみてほしいと思います。 最後になってしまいましたが、今月初旬に結婚しました。ここ二ヶ月は準備運動しかできなかったので、早く実践したいです。また練習に顔を出したいと思うので、よろしくお願いします。それでは次のバトンは私の二個下の大きな部長、川の上くんに託したいと思います。川ぴょんよろしく〜。

2012/3/19

015_中村 隆文
みなさまはじめまして、もしくはお久しぶりです。宮崎正太郎くんからバトンを受けました、鹿児島在住の中村隆文と申します。平成9年3月に卒部しました。千葉大学の文学部行動科学科というところで遊んでいましたら、市役所を経て、いつの間にか鹿児島で哲学・倫理学の教員になっていました。宮崎くんは私のことを「師匠」とかなんとか言っていましたが、私はそんな偉い立場ではありません。おそらくは勘違いでしょうし、麻雀のことなんて記憶にございません。なので、バドミントンのことを話します。

とはいっても、私が現役の頃も、いろんなお客さんに相手をしてもらったり、部活内で練習メニューについて話し合ったり、谷藤先生にアドバイスを求めたり、怒られたり、踏まれたり・・・・などなど、あまり今の現役部員と大差なかったように思います。当時からいろんな考え方の部員がいましたし、それぞれが楽しみながら、しかし集団としての最低限の規律を大事にしつつ自分なりのバドミントン生活が過ごせるというのが千葉大バドミントン部の良いところだったかなあ、と思っています(私はどちらかといえば自分勝手なやり方で過ごしていましたので、今振り返ると「ああすれば良かったなあ」ということがいっぱいあります。関係者の皆さん、どうもすみませんでした。でも人間なかなか変わらないもので、今も同じようなことを職場で繰り返している感じではありますが・・・)。

 とりあえず、先輩風を吹かせるためにあえて現役部員に向けて上達のためのアドバイスをするとしたら、まず練習で心掛けることは「具体的にどういったショットを打たれた時(もしくは打つ時の)が問題であり、それを解決するためには実際にどのように身体を動かすか?」というところをまず考えること、でしょうか。たしかに戦略などは重要ですが、その戦略はそこに最低限不可欠な諸動作をマスターしてからのハナシであって、じゃんけんでグーしか出せない人がいくら戦略を考えても同じように、基本的な動作の種類(基本とはクリア・スマッシュだけでなく、レシーブ・ハイバックなども含まれます)をマスターしていなければ、高度な戦略も意味がないと思います。言い方を変えるなら、自分の「できないこと」をきちんと意識していない人が高度な戦略ばかり考えすぎると、結局は何の戦略も立てていないのと同じ、ということもありえるということです。

戦略からどうしても始めたい人であれば、自分が使おうと思う戦略(できるだけ単純なものから)を描き、具体的にどのようなショットや対応が必要となるのか、そしてそれを実現するためには練習中、身体のどのような部分をどのように使うのか(つま先の向きから、肩の位置など)を具体的に考える必要があるでしょう。そして、次の試合に向けてそうした改善が現実的に不可能であれば、自分が最低限として何をどこまで改善するのかを改めて見直すべきでしょう。才能があっても、どうもイメージばかりが先に立って、具体的に自分自身を変えるという作業がおろそかになっている選手を見てきました。そして、そういう選手のために、先輩やお客さん、OB・OGや先生、監督・コーチがときどき具体的なアドバイスをしてくださっているはずなのですが、やはり人は自分を肯定する意見は耳に入るけれども、否定ともとれるような意見は心が傷つかないように無意識に覚えようとしない、という傾向があるようです(防衛機制とでもいうのでしょうか。まあ、私にも多少はそういうところはありま すが)。しかし、そうしたアドバイスは別に人間性や生き方を否定しているわけではありません。バドミントンが上手・下手と人間性とは無関係な話です(実際、すごいプレーヤーでもちょっとなあ、という人はいるでしょう)。バドミントンは単なるゲームであり、難易度の高いゲームを楽しむためには、それなりのテクニック(とそれを支える体力)が必要、というだけのハナシです。

ですので、自分が得意な練習・うまくこなせる練習だけをするのは論外です。ですが同時に、無茶・無謀ともいえる練習であっても、そこには改善へのステップはありません(ノックの球出しをする人は特に気をつけてください)。練習は常に効果的に、そして具体的に、「認識から反応までの時間」「身体の各部分の動き」・「タッチポイント」「球筋」「球の速さ」などを意識して行うよう心がけてください。そして、それをチェック・指摘してくれる人を大事に利用してください。まあ、話が長くなりましたが、要は「上手くなるためには、具体的思考のもとで、現在の自分を変えていかなければならない」ということです。

いろいろ長くなり、途中で眠ってしまい、ここまで到達できなかった人もいるかもしれませんが、そもそも私にバトンを渡してしまった宮崎くんにも責任があるということで、長崎出身コンビからお詫び申し上げます。ごめんなさい。もうしません。

さて、次のバトンは、麻雀・バドミントン・仕事・結婚と満たされまくりの、バドミントン部きってのリア充である芳賀くんにお渡します。芳賀くん、ギャンブルばかりして家庭を壊さないようにね!

2012/2/9

014_宮崎 正太郎
題「できる事に感謝して楽しみたいものです。」

お久しぶりです。並びに初めまして。花田(旧姓:小林)未樹さんからバトンを受けた、長崎在住の宮崎正太郎です。

まず、先の震災でご自身又はご家族が被災された方や、関東近郊で様々なストレスを受けられている方に、お見舞い申し上げます。
そして、私達の時より練習するのだけでも困難な中、頑張っている現役諸君には心からエールを贈りたいと思います。

と、挨拶はこれ位にして、自己紹介を。

H13年法学科卒。紹介者の未樹さんとは同期で、一応その代で主将をやってました。
現在は西の果て、長崎に住み、家業を手伝いながら未だに司法書士目指してひーこらやってます。(ここまで来ると意地ですよ!)
家族は、両親と下に7人の弟妹がおります。(ちなみに、親父と私と下の内6人がバドミントン経験者です。)
あとは、家にはランチュウやミニブタ、ウサギらがおります。


多少学生時代の思い出を。

私達の代は、当初男子7人、女子2人のささやかなものでした。(卒部したのは男子4人、女子は未樹さんだけ。)

私の中では、部活の思い出は二部構成になってます。

まず第一部は、入部した時から2年生の途中までです。

入部したての時には、現役に小山主将や関根さん、石澤さん、女子では今井さんら、なかなかの実力者がいたのですが、「ガツガツと体育会系」と言うよりは、「楽しくやりましょう系」で、その時は私は流石は大学の部活だ、楽しもうっと、と思いました。まぁ、私が勘違いしてた訳ですよ。皆さん練習はキチンとされてましたし。

この頃、部員で麻雀出来る人が多くて私も麻雀にハマり、最盛期は連夜の徹マンもザラでした。
今考えると大変申し訳なさ過ぎるのですが、極めつけは、徹マンから試合会場に直行し、線審席で居眠りするという大失態を演じてしまいました。当然、小山主将からは激をいただきましたが、今尚記憶に鮮明に残っています。遊ぶのも、覚悟して遊びなさい、て事なんですね。

第二部は主に、ある後輩達が入部してきた頃から始まります。

皆さんご存知の阿久津や川崎です。(川崎、全日本シニア準Vおめでとう!)
彼らは、言わばバドミントンのエリートなのですが、私が質問したら丁寧に教えてくれたものです。まぁ、内心はしょうがねぇな、と思ってはいたのでしょうが、ちゃんと一緒に打ってくれてましたし、その時得た技術的なものや、戦術的なものは、今弟にフィードバックしています。
また、彼らの代は粒揃いで、かなり打てるのが男女共にたくさんいたので、本当の意味で面白かったです。


また、「恩師」谷藤先生の存在は忘れてはなりません。
私が主将だった時、部員が40名程いました。しかも、上はインターハイ優勝経験者、下は初心者、と幅広いレベル層の構成で、練習やコート割りに悩みました。基本的には、上に合わせるのが正しいのですが、せっかく大学に入ってまでバドミントンしたいと考えた初心者らも可愛いものでしたし、払う部費も同じだし、と煮え切らなかった記憶があります。

そんな時に、先生からは数々の助言をいただきました。バドミントンの技術的戦術的な教えに留まらず、成功するための考え方や人としての在り方まで学ばせてもらった、と思います。
さらに、先生の影響で千葉県上位の社会人の方々も練習に見えて、部活終了後も有益な「居残り練」まで出来ました。この時得たり感じた事も、今は弟に伝えている最中です。
今でも「感謝」の一言ですね。


こういう風に部活をやっていたのですが、私が本当にバドミントンて楽しいなぁ、と心の底から思い始めたのは、実は主将を辞めた辺りからなんです。
日々の練習メニューやら、レギュラー争いやらから、一旦抜けた時にとても心が軽くなった様な気がして、それまで習ってた事が急に分かる様な感覚になったんです。
これは楽しいですよ。楽しいと同時に、私に関わってくれた方々がいたからこんな感覚が得られたんだと思うと、千葉大学で出会ったいろんな人達へも感謝したくなってきました。

お気楽な性格だなと思われるでしょうが、こんな感覚こそがバドミントンを始めとした、スポーツをする意味なんでしょうね。 より多くの人に味わってもらいたいものですよ。

現在、日本のみならず世界中で様々な不安がありますが、とりあえず、今日バドミントンが出来るだけ幸せ者だ、と思うこの頃です。


長崎もようやく紅葉のシーズンを迎えています。駅前の銀杏並木を通るたびに、西千葉の第二体育館への道を思い出します。なるべく速くまた第二体育館に顔を出したいものです。(注:文章を書いたのは11月末。今日1月4日は初雪が降りました。)



次の書き手は、私と同郷の大先輩、そしてバドミントンに麻雀にと師匠と仰いでいた、中村隆文さんです。中村さん、よろしくお願いします!

2012/1/5

013_花田 未樹
浅海さん、ありがとうございます。
10年程前、法経学部法学科を卒業しました、花田(旧姓:小林)です。

当時の夢は、世界をまたにかける仕事に就く事でした。
就職は東京の商社に決まり、現在もそこで働いています。
海外に行くのはプライベートに留まりますが、「"世界"とつながる」という意味では外れていない・・・かな。
3年前に東京から千葉県に引越して来ました。
私にとって千葉県は、第2の故郷なので、「戻って来た!」という安心感がありました。
最近では、ちーば君が可愛くて仕方ありません。


さてさて、バドミントンとの繋がりについて・・・
大体コンスタントに週1,2。多ければ週4。
「とりあえず」打てています。
心底満足して楽しめる練習を見つけるのは、至難の業です。
その「とりあえず」を、満足いく楽しい練習に変えられれば簡単ですが、
私にはなかなか難しい取組みです。
そんな私ですが、昨年は後輩と全日本社会人に、友人と全日本シニアに出場する事が出来ました。
普段、近隣の市民大会には出ているものの、全国大会は初めての経験で、
全てが新鮮で楽しい思い出になりました。
社会人では、千葉大のOBOGが一緒で、とても心強く、合宿に来たような錯覚を覚えました(笑)

今年は震災の影響や身内の不幸等、シニア予選には出れなかったのですが、
地元の方に誘って頂き、レディースの試合に出させてもらっています。


試合に出て思う事・・・
レディースの試合でよくあるのですが、
闘志を強く出す相手と対戦すると、競り負ける事が多いのです。

よく人から「淡々とプレーしている」と言われますが、内心は闘志を燃やしている(つもり)です。
しかし、内に秘めているだけでは弱いのでしょうか。。。
叫んだり、前面に戦意を押し出してくる相手には、調子が狂います。
きっと、気迫で押されてしまうのですね。

感情や闘志を表に出す事は、格好悪いと思っていました。
でもそれは、自分のモチベーションを上げ、相手にプレッシャーを与えるパフォーマンスになるんだ、と再認識しています。

技術面での課題は書ききれませんが、
強い闘志と、相手のプレッシャーに負けない強い精神力を身に付けていきたいと思います。
後は、怪我せず楽しく!


最後に・・・
今は、どこに行ってもバドミントンが出来る環境があります。
ですが、1人では出来ません。
現役の皆さん、これからもずっとバドをしていくためにも、どうか今ある環境や仲間とのつながりに感謝し、日々向上していって欲しいと思います。
次は・・・
私と同じ代の主将、宮崎君へお願いしようと思います。
長崎の大自然の中、のびのび育った彼は、奥田民生ばっか歌ってたなぁ。
今は何をしているのでしょうか!よろしくね!


2011/11/29

012_浅海 重則
虫明さんよりバトンを受けたS63年終了の浅海です。
 私は園芸学部の園芸別科出身です。この科は2年で終わりです。入試は国語と生物だけでした。全て専門授業で、野菜、果樹、造園、経営の4つのコースに分かれています。座学は一通り授業を受けますが、自分の選択したコースの畑実習が週6限も有るのが特徴です。一般教養は一切ありません。こんな課程なので卒業ではなく終了になります。

 今回は第24回全国スポーツ・レクリエーション祭り「スポレク“エコとちぎ”2011」とびっきり 栃木でいい汗 いい出会いをスロウガンに開催されました。私は年齢別バドミントンに参加して感じた事を伝えたいと思います。
 最初に日程と試合の進行について説明します。
試合1日目 開会式後1試合行い、勝ち組、負け組みリ−グに分かれます。
  2日目 勝組、負け組共に6グル−プに別れ総当りの予選を行います。
  3日目 決勝戦前日の予選を勝ち抜いたチ−ムが、ト−ナメント戦で優勝を競います。但氏各組ト−ナメントの山が2つあるので4チ−ムが優勝となります。当然2位、3位も4チ−ムとなります。これこそレクリエ−ションと思いました。

 私がこの大会があることを知ったのは5月にバド繋がりの方に11月に大きな大会があるんだけど4日程予定取れない?と連絡があり、先の事が分からないので、正式に選手が見つかるまで名前入れといていいよと答えたのが参加のきっかけです。一週間後に協会の偉い方から参加ありがとうと連絡を頂き???こんな心算ではなかったのに、話を聞くと全国大会、住んでいる市川市の大会でも水面下でチョロチョロやっているのに、大変な事になりました。時が過ぎ9月、千葉県代表選手初顔合わせの席で監督の話を聞いていると、皆さん一寸した有名人の様でまたまた・・・・居酒屋で飲みながらなのに酔えません。でも監督さんが「この大会は全国のバド愛好者との交流の会だから楽しんで来ましょう。」との言葉に一安心。
 11月5日、とても盛大に開会式が行われ、少し気がしまった感じ。6日試合当日、東京代表の澤田さん協議役員として栃木県在住の琴寄さんに久しぶりに会い少し「ほっー」、な感じに、この日は一試合です。相手は福島県(白虎隊チ−ム)50歳以上ミックス、ファイナルで落とし、30歳以上女子ダブルス、ファイナルで落とし40歳以上0-2で落とし負けリ−グ行決定。7日、負けリ−グ予選3試合、全て3-0で勝。負けリ−グの決勝に進出決定、8日準決勝からで、栃木C代表(イモ てぃん てぃん)チーム、にミックス、女子ダブルスを落とし負けてしまいました。決勝ト−ナメントは勝負けが付き次第打ち切りとなり私の出場は無くなり残念でした。愛好者の交流目的の大会なので、沢山の試合が出来る様に考えられてました。久振りに仕事なんて考えずに楽しんで来ました。
   今回感じた事は対戦した相手は心には勝つぞ!の気持ちは満々にあるようでしたが、相手の良いプレ−にはナイスショットと微笑みかけていました。あまりにも勝つことにこだわりすぎると目先の事しか見えなくなるのかな?好きでやってるんだから、肩肘張らずに、視野を広く持ち、楽しくやろうよ、知り合い沢山作ろうよ。そうしていれば将来何かいい事ありそうだなと思いました。千葉大学バドミントン部に入部して良かったなと改めて感じています。今回のメンバ−には、「練習にたまに行きます」。「あの子知ってます?」。何て話のきっかけになる事がありました。年に一度のお楽しみで浦安のシングルに参加しています。その時に後輩たちが元気にプレ−しているのを見ると思わず張り切ってしまいます。現役、OBの皆さん練習は一生懸命、ゲ−ムは鼻歌交じりで楽しくやりましょう。 では次は花田さんにバトンを回したいと思います。花田さんさんは私がたまに練習に行くクラブで偶然知り合い、バドミントン部の後輩である事が発覚しました。世間は狭い!

2011/11/22

011_虫明 成生
H3年卒 虫明です。

江島君からバトンを渡されて時間が経ってしましました、スミマセン。

秋の関東学生リーグ、男子は残念な結果に、女子はもう一歩の結果だったようで残念でした。でも、これからはすぐに上の部に復帰するというこれ以上ない明確な目標が出来ちゃいましたね。一年生も多く入ったようなので、これから皆で力を合わせて、良い結果を出せるよう頑張って下さい。

な〜んて偉そうな事を言ってますが、私も3年生の時に3部から4部に降格した世代です。女子は3部から2部に上がったんですが…。その後の現役時代には4部1位をキープした(と思う…)のですが、結局、復帰は出来ませんでした。3部に昇格するためには入れ替え戦で2回勝たなければならないので、やはり4部では圧倒的な力で勝つ必要があるかも知れません。

先日、仕事で東日本大震災の災害初期対応の最前線にいた人に話を聞く機会があったのですが、その方が「簡単な避難訓練でも、準備してない事は本番になっても絶対に出来ない」と力説されてました。バドの試合も全くもってその通り、練習してない事は試合ではぜーーーーったいに出来ない事を今更ながら痛感してます。いやいや、練習した事でも試合では出来ない事が多いかも…。

男子は次の関東リーグでは、同じ部の連中から3部でやってた連中ってどんなレベルなのかと注目されるはずです。周りに「こいつらには勝てない」と思わせるよう、考えて練習して試合で成果が発揮出来るように頑張ってください。特に、上級生は上のレベルを良く知っているのですから…。

関東リーグの事ばかりになってしましましたが、現役の皆さん、ずっとバドを続けて下さいね。続けて行くことで、大学の時だけでなく、社会人になってからも人間関係は必ず広がって行きますから。

長々と書いてしましましたが、次は、私の一つ上の先輩で、江島君のところと同じで奥さんも千葉大バド部出身の浅海さんにお願いしたいと思います。

(PS)来年、千葉大オープンが再開されたら参加出来るように練習しておきます。

2011/10/24

010_江島 幸治
H4年卒の江島です。
こんなに早くバトンを渡されると思ってなかったのでちょっとびっくりしています(^^;
バドミントンは卒業後も続けており、現在は茨城の土浦市に住んでいますが、隣のつくば市でプレーしています。
バドミントン以外では、35歳を過ぎてからマラソン大会にも参加するようになり、ここ数年は近場で毎年10マイルとフルマラソンのレース に参加しています(現在の目標はフルマラソンで3時間30分以内でゴールすることです)。また、今年はロードバイクを購入して霞ヶ浦湖畔 や筑波山周辺を走り始めました。運動している間は、バドならシャトルを打つこと、マラソンのトレーニングなら体の状況の変化やペース配分 などに集中するため、仕事のことが頭から離れてストレス解消になっています。

さて、卒業後はほぼ毎年現役との交流会に参加しています。先日も現役部員との交流会に参加しましたが、近年、平成1桁卒から上の代の方々 の参加が少なくなってきているのが気になっています。
毎年、現役との交流会のために大学へ行き、校舎や体育館を見る度に、学生時代のことを思い出します。練習の途中で抜け出して汗だくで工学 部Bコース(夜間のコース)の授業に出た後、また練習に戻り夜中まで練習したこと、風邪で熱があるのに夜中に先輩らに突然アパートから連 れ出されなぜか日光までドライブに行ったこと、一人暮らしの部員のアパートを夜中に回り、先輩、後輩、男女を問わず部屋に○○を投げ入れ ていったこと・・・。苦しかったことや楽しかったことを思い出して当時を懐かしみ、そして体育館で現役学生やOB・OGとバドミントンを すると、体は疲れますが、元気になって帰宅できます。
シャトルを打ち合う現役との交流会から足が遠のいてしまった方も多いと思いますが、最近はインターネットで自分の住んでいる地域と「バド ミントン」というキーワードで検索すれば、近くで活動しているバドミントンクラブが簡単に見つけられるようになりました。近所のクラブで 練習し、交流会で部を引き継いでくれている現役学生とシャトルを打ち合ってみませんか。もちろんシャトルを打たなくても現役学生は歓迎し てくれます。また、交流会は、午前中のみ、午後からの参加、夜の懇親会だけの参加でも大丈夫です。暑い時期の開催でもあり、いろいろとお 忙しいとは思いますが、現役との交流会に多くのOB・OGが参加していただければと思います。

それでは、そろそろ次にバトンを渡したいと思います。次は、学生時代に一緒に部員の部屋へ○○を投げ入れて回り、ここ数年はペアを組ん で千葉大オープンに参加してくださる一年先輩の虫明さん、よろしくお願いします。

2011/9/13

009_江島 万里子
平成五年卒の江島万利子です。先日のOBOG交流会で は、子供たち共々お世話になりました。
私は、教育学部卒業ですが、日本史ゼミにいたので、日本近世期(江戸時代)の古文書解読の能力を生かして!?地元の市立博物館で古文書解読・ 翻刻・出版を担当する非常勤職員をしています。

リレー日誌をつないでくれた三村君との出会いのきっかけは、このバドミントン部の掲示板でした。「春から茨城県南で就職します。バドミントン ができる場所を探しています」その書き込みを見て、三村君に連絡をとることにしました。最初に三村君が私たちのクラブに来てくれた時に、彼は 大学の背面入りのウェアーを着ていました。なんだか、不思議な気分でした。懐かしい背面を見た時、自分が現役時代に聞いた先輩の言葉を思い出 したのです。
私が現役の頃のOBOG交流会は、「現役とOBOGが親睦を深める会」というよりは、OBOGと現役の「対抗戦」でした。勝負にとことん拘る 一日だったので、バドミントンから離れた先輩に会う機会はありませんでした。
でも、私が大学2年の時、祝勝会が開かれました。私達より二学年上の女子を中心に、関東リーグ二部昇格と関甲信4連覇を果たしたからです。部 の創立(昭和20年代)以来の先輩方が一同に集まりました。自分が生まれた時よりさらに20年も前に現役だった先輩方との出会い。当時はまだ OB会はありませんでしたが、OBOG名簿は代々の現役が受け継いでいました。お名前を知るだけだった先輩たちと直接お会いして、バドミント ン部の歴史が続いていたことを実感しました。先輩のお話で印象に残った言葉は、「同じ『千葉大学』の背面を背負ってバドミントンをしている後 輩を応援しています!」でした。
それを証明するように、その祝勝会のあと、OB会が発足したのです。

しかし、現役は前代未聞の危機に直面していました。私の代は男子不在で、女子は2人。私の同期のIさんが男女全体の主将となり、私は主務にな りました。
発足したばかりのOB会は、私達現役のバックアップに奔走してくださいました。
練習に参加して基礎打ちの練習に付き合って下さった先輩、練習後に夕食(夜食!?)を食べながら、先輩方の現役時代の話をしてくださった先 輩。
赴任されたばかりのT先生と、初心者ばかりの一年女子の練習方法を模索しました。
たくさんの人たちが、部を存続させるために、たくさん力を貸してくださったのです。

先日のOB会の対面式で、私の左側にたくさんの後輩が並んでいました。対面式で並ぶたびに、「本当にありがたいなあ」と思います。部の歴史が つながっていることを実感するからです。
いま、現役の皆さんは、真っ暗なトンネルの中にいるような、答えがないような感じを持つ時があるかもしれません。不安が大きい時もあるでしょ う。
でも、現役の4年間は、本当に短い一瞬なのです。懸命に走りぬいた人だけが、トンネルの向こうに出ることが出来ます。卒部して20年近くたっ て、私もOGの時間をたくさん過ごしてきました。だからこそ、現役のあの頃に、OBOGの方たちのが現役に伝えたかった思いを、少しだけ理解 できるようになりました。
どうか、四年間続けてください。全国にたくさんの「応援団」がいます。同じ背面を背負ってバドミントンをしている現役を応援する先輩たちで す。

先日のOB会の対面式で「部の歴史をプレッシャーではなく、力にしたい」と言ってくれた一年生がいましたね。
次に現役の皆さんに会えるまで、元気に前進してください。また笑顔で会いましょう。その繰り返しが現役の力になることを信じています。

さて、リレー日誌は、一学年先輩の江島幸治さんにバトンを渡します。
現役の当時は「面倒見のよい先輩」だった人でしたが、OB会で再会したことをきっかけに、今は「家族」になりました。そういう意味では、当時 OB会を開催してくれた現役に心からお礼を言いたい気分です。

2011/9/13

008_三村 弘樹
こんにちは。
茨城県で中学校の教員をしている三村です。ちょうど立松君と同じ代です。部活はバドミントン部の顧問を・・・といいたいんですが,ずっとサッカー部の顧問をしています。今,自分こげてます。先週も鹿島サッカーフェスティバルという高校の大会の審判をしてきました。初めての高校生の試合で普段の試合より時間が長い,全国から集まってくる大会でレベルも高い,しかもメチャクチャ暑い・・・。ということで,すっかりバドミントンからは遠ざかっています。
指導者をしていての感想は,チームづくりというのはすごく難しいということです。自分が選手でやる方がよっぽど楽だなんて思うこともしばしばです。どうしたら,選手が意欲的に自発的に行動することができるか?結局は選手が何かをきっかけとして,目覚めるしかないという結論に逃げてしまっていますが,指導者はそのきっかけを与えてあげることができる立場でもあり,自分はまだまだ役目を果たしていないなあと思う毎日です。
自分が教員になって子ども達に伝えたいと思ったことは「目標をもつと,毎日の生活がすごく楽しい」ということです。これは,自分が大学時代に実感したことで,目標をもって,それに対して真剣に向き合った時,もちろん苦しいこともたくさんあったけれども,本当に充実した生活が過ごせたと胸をはっていえます。不思議なことで,バドミントンに対しての目標なのに,それ以外の生活も充実してくるんですよね。そんな想いを,生徒にも味わってほしい。これが自分の目標ですね。
千葉大学バドミントン部の皆さんも是非,目標に対して真剣に向き合って充実した日々をお過ごし下さい。最後に,自分が好きな言葉を。今もなお現役でプレイしている偉大なサッカー選手カズの言葉です。
「何かで苦しまなければ,楽しみは得られない。ちゃらんぽらんに,物事をいい加減にやったら全然楽しくない。何でも真剣にやるから楽しい。」

次は,同じ茨城県の大先輩で今もお世話になっている江島さんご夫婦にお願いします。よろしくお願いします。

2011/8/19

007_植田 隼治
植田です。2年生のときに主将となり今年で主将2年目となりました。
主将という立場になり、多くの方と関わる事ができたことを嬉しく思っています。また、様々なところで支えてくださっているOBOGの皆さん、練習に来てくださる方々には本当に感謝しています。

最近、高校の時の恩師に言われた「やればできるというのは間違っている。でもやらなければ何事もできない。」という言葉をよく思い出します。「やればできる」という言葉がありますが、それに対し「実際にはやってもできない事の方が多い。でも何事もやらないとできるようにはならないし、やらないことには何も始まらない」とおっしゃっていました。
この事を今まで何となく覚えていただけだったのですが、最近になってその事を強く意識するようになりました。自分が大学にいる間にできる事、部活の事でも学業の事でも、失敗は多いかもしれませんが、「やらなければ何もできない」ということを忘れずに、全力で取り組んでいきたいと思います。

次は、僕の出身地である茨城で教員をされている三村さんにバトンを渡したいと思います。よろしくお願いします。

2011/7/28

006_多田 崇史
『夢に日付を』

とワタミの社長がおっしゃってます。
この言葉、実践していれば絶対自分にとってプラスになります。
夢を目指す人は輝いています。その熱い想いが伝われば自然と応援したくなります。

以下抜粋
「夢を達成するためには、意志だけじゃ駄目。
夢を達成するには、夢に日付を入れることです。
現在の自分から考えて、その日付までに夢を達成させるには何が必要か、毎日のやるべきことを明確にするんです。
夢に日付を入れて、今日やるべきことが明確になると、夢が実現する可能性があがります。
毎日の行動に意味をもたせ、主体的に行動することが、夢の実現につながっていくのですね。
要は、繰り返しイメージする中で、自分の意識の中に刷り込んでいくという作業が必要ということですね。」

この言葉に出会ったのは2年前位。
ぼんやり描いているものに日付をつけると自分が変わります。



自分はNTTデータでバドミントンを7年間やってきてます。
NTTデータは全日本実業団ベスト32という目標をずっと設定しています。
ベスト32に入ると、チャレンジリーグに出れ、その先には日本リーグがあります。
入社したころはチャレンジリーグに出れたら背番号をつけられるから出たい。という想いしかありませんでした。
今になって思うと自分自身がそんな簡単な想いだから達成できなかったんだろうなぁと思います。

チームができて18年間。これまでチームを築いてきた人が周りにいます。
18年は浅い歴史かもしれませんが、その中にはひとりひとりの多くの想いがつまっていて多くのものが積み重なってます。
その人たちがいなければ今の環境もないし、今の自分もいません。
だからいつもいつも振り返るとチームの人には感謝することばかりです。
感謝ばかりで何もチームに還元できていないのではないか、と思うことが多いです。
それでも一番の恩返しはチームの目標を叶えることだとずっと思ってきました。

今年は今までで一番その目標を達成できるところを監督が引き当ててくれました。
勝負の世界ですから当然相手も勝ちたいと思ってます。
だから目標を達成するのは簡単ではありません。
でも障害があれば達成したときの喜びもそれだけ大きい。
昨日よりも今日、今日よりも明日。
2011年7月1日に夢を実現してきます。


次はそろそろ学生にも書いてもらいたいので、主将の植田くん、よろしくお願いします。

2011/6/15

005_中村 春菜
2007年卒の中村です。現在,千葉県の香取市というところにいます。
震災等々いろいろありましたが,4月末からようやく練習を再開しました。

バトンありがとうございます。
国体予選に出ることを受け,温めておいたつもりでしたが,結果は完敗で裏目に出てしまいました・・・

試合を受けて考えたことが2つあります。
?「できないこと」を自分で理解していない。
アドバイスをいただいて考えたことですが,やりたいことはいろいろあっても,今の実力で「できること」と「できないこと」の線引きができていないと,いつまでもできないことに固執し,やり続け,結局できないままです。
思えば学生のころは自分の試合のビデオを観ながら人と話をしていたこともありましたが、最近はめっきりやらなくなりました。

?試合を振り返るのに時間がかかる
インターバル中にそれまでを振り返り,ゲームの内容を変えていくのが常だと思いますが,私はこれが遅くて,結局結論が出ないことが多いです。
やっぱり学生のころは試合の反省をするのに時間がかかり,試合の報告と反省をするのもかなり遅かったです。

現役の皆さんも,できないことを克服するための時間,自分のプレーを反省したり,レベルの高いプレーを見ることができる試合・・・などバドミントンが上達するための機会がたくさんあるので,うまく活用してほしいと思います。
私も,9月の試合を目標に,計画的に練習していきたいと思います。

それでは,次の方にバトンを渡します。
学生のころはほとんど話すこともなかったのですが,なぜか卒業してから話すことが多くなった先輩です。
バドミントンのこと,部活のこと,その他いろいろ(笑),現役の頃より考えてくれている先輩ではないでしょうか?
DATAさん,よろしくお願いしますm(_ _)m

2011/5/30

004_大森 紗希
社会人1年目の大森です。回していただいてありがとうございます。 働きはじめて1ヶ月半が経ち、ようやく少しずつですが仕事に慣れてきました。この間、インターネットで格言を調べていたら、「成功の反対は失敗ではなく、何もしないことだ」というようなことが書いてありました。学生のときに同じようなことを何度も言われた記憶があるので、見た瞬間は少し焦りましたが、仕事をしてみて、再びこの言葉の重みを感じることとなりました。

仕事で自分のしてしまった失敗の中でも、次に生かすことのできるものと、できないものがあります。できるものは行動した結果の失敗、できないものは何もしなかった結果の失敗です。始めのうちは後者の失敗ばかりで、解決の意図が見だせなくてとても苦しみました。最近は前者も多くなってきた…気がします。失敗が多いことは良くないし、ただの自己満足かもしれないのですが。

私はまだまだ、大学の練習に行っても自分のできることが分からずに、何もできないことが多い気がします。今も変わらず、失敗することを嫌わないで行動できるようになりたいと思っている段階です。学生の皆さんも辛くても自分のためになることは絶対にやった方がいいです。いろんないいわけをして逃げることもできるけれど、辛いのを越えたら、得られるものは必ず大きいと思います。1年生がたくさん入ってくれて、再スタートを切った千葉大バド部が、体育会として活躍してくれることを期待しています。

次は、私が社会人になってからもお世話になっている先輩、中村春菜さんに回します。この間の試合はボコボコにされちゃいましたね…。28日の試合は頑張りましょう!!

2011/5/20

003_小川 陽太
こんにちは。
小川陽太です。

バトンを早速回してもらって、ちょっと嬉しい(^^)

最近思ったこと→覚悟する。

こどもはかわいいです。
私がこどもといる時は、だいたいすぐ近くに奥さんもいます。
なので困ったことがあっても2人で対応ができます。
しかし、先日温泉に行ったときのこと。
奥さんは女湯へ、私とこどもは男湯へ。
男湯ののれんをくぐった瞬間、私の中でスイッチが入りました。
「誰も助けてくれない。俺がやるしかなーい。」
こどもの脱衣ベッドがない、
換えのオムツがない、
自分の身体が洗えないなどなど
数々の試練を普段よりスムーズに手際よく乗り越え、
無事に帰還することができました。

私のバド部現役時代も、上の代や下の代に守られていました。
社会に出てからもだいたいは組織に守られています。
有難いことです。
けど、もっと自分で何でも切り開いていけるたくましさがほしい!
そんなことを感じます。


追い込む。
崖っぷち状態にする。
覚悟する。
何がなんでも自分が勝たなきゃという意識でやる。

今後もどんどん試練を乗り越えていきたいです。
https://picasaweb.google.com/109794783752349154735/Ofuro?authkey=Gv1sRgCMiI6dXX8OjcmwE#5605471536064944162

次は大森にお願いします。
大森は真面目なので、たまにはも少しアホになってもいいな〜と思う時もありますが、とにかくいい娘です。
かわいい後輩です。
またダブルス組んでゲームやろう!

2011/5/14


002_立松 幹浩
バトンを回していただいた立松です。とりあえず、近況を報告させていただきます。
去年の6月に仕事を辞めて、愛知に帰りました。今は中高(保健体育)の教員免許取得のために愛知教育大学に通いながら、小学校で体育を教え、高校ではバドミントン部のコーチをしています。好き勝手な人生を歩んでいる途中であります。まぁ部活にいる時も好き勝手やり、よ〜く同期・先輩・後輩と喧嘩していたなと思い出しますが・・・。
 話は変わりますが、最近やっとバドミントンを考えて行うことが少しできてきたと思います。一つ一つのショットに意味を持たせながら練習に励んでいます。考えたラリーやショットが出来たときにはとても楽しいという気持ちが年々増してきています。大学生の時には、ただ攻めて攻めてということしか考えになく、とりあえずスマッシュを打てるように頑張るとしか思っていませんでした。したがって、練習の時も我武者羅にたくさん打つとしか考えていなくたくさん練習はしましたが・・・・。今思えばもっと感じなきゃいけないことがたくさんあったなと思ったりします。でも後悔はしていません。あの大学時代の我武者羅な感じがあったからこそ今があります。上手くなるには踏むべき段階だったのであろうと感じています。
 この経験を活かして、今高校生たちには我武者羅でも我慢してたくさんシャトルを打ったり、トレーニングを積み重ねる大切さを伝えたいと日々奮闘中です。千葉大の学生は後悔しないくらい練習していますか?バドミントンのことしか考えられないくらい没頭した生活していますか?後悔は先に立たないということだけ伝えて私の回を終わらせていただきます。あまり内容がなく、乱文になってしまいましたことをお詫び申し上げます。
 リレー日記ということなので次の人を考えに考えました。僕の一つ上の先輩で、見た目はふんわりぼーっとしている感じですが内に秘めた気持ちはとても熱い人、小川陽太先輩に託したいと思います。よろしくお願いします。

2011/5/8


001_川口 実也
最近『微力ながら』というキーワードがマイブームです。最初は『微力ながら…』と言いながら募金をする有名人に対して、全力を出せばいいのにと思ったりしましたが、何事も継続が大事。一時の全力より、積み重ねる微力の方が大事だなと思います。ということで、自分も微力ながら千葉大学バドミントン部を応援したいと思い、スペースを借りてリレー日誌を始めてみました。今、みなさんの『微力』が必要です。ご協力お願いします。

突然ですが、ロードレースという自転車競技を知っていますか?最近かなり流行ってきているみたいで、見たことがある方も多いのではないでしょうか?自分は自転車が大好きなので、今日は、ロードレースを紹介します。

ロードレースは基本的にマラソンと一緒で、一番最初にゴールした人が勝つ競技です。しかし、大会の規模が大きくなってくると、個人競技ではなく、団体競技になってきます。どういうことかというと、チームで一番早い人(エース)を勝たせるために、他のチームメイト(アシスト)はエースをサポートする(早い話犠牲になる)ということです。サポートの仕方はいろいろあります。風よけになったり、他チームを混乱させるために飛び出してみたり…。アシストはエースに尽くし、そしてエースは、そのアシストを1人1人使い捨てながら、その想いを引き継ぐ。この関係はお互いの信頼関係なくしては成り立たないものだと思います。

でもこういった関係は人間関係の中でもたくさんある気がします。複雑な人間関係の中では誰もがエース、アシストになりえますし、そのサポートの仕方もいろいろあります。ロードレースのように、エース、アシストがはっきりしないため、時にはサポートされていることに気がつかないこともあるでしょう。サポートされていることに気がつかないなんて怖いですね…。ですから、自分はサポートを見逃さないために、ちょっとおこがましいと思われるかもしれまんが、どんなこともサポートだと思うことにしています。そうしたら見逃すこともありませんし、本人はサポートのつもりでなくても、自分がサポートし返したら今度は本物のサポートをしてくれるかもしれません。(見返りを期待するのはよくないですが…)それになんだかプラス思考で元気になれる気がしませんか?(笑)

みなさん、人間関係で迷ったらぜひ一緒にサイクリングに行きましょう!

(余談ですが、少し時間ができるので、いろいろなことにチャレンジしてみようと思います。次は弓道です!)

さて、リレー日誌ということで、次の人にバトンを回したいと思います。自分が現役のときはもちろん、卒業してからもたくさんサポートをしてくれた、偉大でちょっとめんどくさい大先輩、立松先輩にお願いしたいと思います。
よろしくお願いします。

2011/4/27


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